皆さんは、2011年の3月11日をどのように経験されたでしょうか?
私は会社(金沢)で仕事をしていて、その日は内勤でした。
今思えばちょうど大地震が起きた時間に、私はパソコンに向かいながら、隣にいる社員と「何か揺れているような感じがしない?」「なんか船に酔った感じがしない?」などと話していました。
そしてその数分後に、Yahooニュースで、東日本大震災を知ることになりました。
それから8年後に被災した方が話していた言葉が・・・、
死に方は選べないけど、生き方は選べる。
目次
- 福島とのご縁
- 死に方は選べない
- 生き方は選べる
福島とのご縁
私の母の出身が福島です。
私も幼少の頃には祖父と祖母がいる福島の富岡町に遊びに行きました。お盆休みには海に行った記憶もあります。
しかし震災後の報道を見ると、その最寄り駅は津波に飲み込まれ更地のように一変してしまいました。
幸い親族などに人災はなかったのですが、想像できないスケール感でした。
また仕事では2011年の8月から、組織の仕組みづくりを構築するご支援で、約6年間福島のある会社に毎月通うご縁をいただきました。
その会社は母の実家の隣町で事業を営んでいましたが、津波の被害に遭い、福島県内の別の場所で事業を再開するところでした。
お伺いした時にはまだ社屋はなく、商品を販売するために新たに借りた店舗が事務所代わりになっていました。
社員数も30名から8名になり再出発を決め、動き出したばかりの時期でした。
再出発にあたり、社長自身は営業をしなければならず、社歴の浅い人ばかりいる中で、組織づくりを進めていく人員がいないので、組織の基盤づくりをして欲しいという要望でした。
お伺いした時には、崩壊した家屋やヒビの入った建物を見て、大地震の爪痕を目の当たりにしました。
そして何よりも現地の方々から聞くお話から、壮絶な出来事を改めて認識しました。
当時福島にお伺いした時には、家族と離れ離れになって1人暮らしをしている社長と、震災後にお世話になったという旅館に、布団を横に2つ並べて宿泊させていただきました。
たくさんの苦労や苦難がある中で、寛大なおもてなしをしていただき、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
死に方は選べない
先日宮城県の気仙沼で行われた研修に行った人から、現地で復興に尽力されている方から次の言葉を聞きました。
死に方は選べないけど、生き方は選べる。
もちろん日本語の意味は分かりますが、気仙沼で復興に尽力されている方が、この言葉を言うと深みが全く違います。
私は11年前に父を亡くしました。変な言い方かもしれませんが、生まれて初めて「人は死ぬんだ」と実感しました。
父が入院したと聞いて、たまたま翌日が内勤予定だった(当時は月に内勤日が1日か2日という勤務状況でした)こともあり大阪から実家に戻り、翌日お見舞いに行く予定でした。
しかし容体が急変し、結局言葉も交わさずに父は亡くなってしまいました。
おそらく父も死んだ経験が一度でもあれば、我慢せずにもっと早く病院に行ったかもしれませんし、そうすれば助かったかもしれません。
本人もまさか死ぬなんて思っていなかったでしょうし、まさかの事態だと誰よりも本人が感じていると思います。
人生は「運命」という道の上を歩いているのかもしれませんし、人生の終わりはどのように訪れるか誰にも分かりません。
生き方は選べる
しかし今回の学びの言葉の通り、生き方の選択権は100%自分に与えられています。
そして・・・、
- 自分は、どう生きたいのか?
- 今、自分に出来ることは何なのか?
- そして自分は、与えたれた人生で何をしたいのか?
決して無限ではない人生を、どう生きるかという選択権は、100%本人に与えられています。
そして悩むことや困難にぶつかることがあっても、それをどのように打開するかという選択権も100%本人に与えられています。
そう考えたら、こんなに素晴らしいことはないのかもしれません。
自分が影響を与えられないことをいくら考えても、残念ながら結果は変えられません。
例えば・・・、
明日「雨」だという予報をいくら憂いても、「雨」という結果は自力で変えることはできません。
しかし、「雨」だという予報を踏まえて、予定を変えたり、持っていく傘を選んだりすることはできます。
また、その「雨」を「あいにくの雨」と捉えるのか、「めぐみの雨」と捉えるのかの選択権も、100%本人に与えられています。
このように、自分が影響を与えられることに注力すれば、その行動に対する結果が必ず現れます。
自分が影響を与えられることに対する結果であれば、その結果を検証することで、自分にできる課題が見えてきます。
そして、その課題に対して再び自分が行動を起こすことで、新たな結果を得ることができ、新しい課題を見つけることができます。
さらに、その課題に取り組む経験を未来に活かすことができれば、たくさんの可能性が待っています。
このように、自分の人生において自ら選択できることは、いくらでもあるのです。
死に方は選べないが、生き方は選べる。
人生の宝であるご縁を大切に、自分の生き方を見つめ直すきっかけをいただいた言葉でした。