今の世の中には情報が出ていますが、正しいものもあれば、間違っているものもあります。
これを見極めることが難しいのですが、とても重要なことでもあります。
情報を得ることに優位性があった時代とは異なり、現在は正しい情報を見極めることが重要になります。
また同じ情報を受け取っても、誰から聞いたかということで、受け止め方が変わってくることがあると思います。
例えば、同じことを親から何度も聞いて鬱陶しいと思っていたことも、別の人から聞くことで、心に響くような経験をしたことはありませんか?
そこからいえることは、自分が何かを伝える側になった時に、他人の事例を活用することが有効だということです。
ここでは、事実と共に他人の事例を使った伝え方をご紹介します。
目次
- 「君が代」の意味
- 能登半島地震に学ぶ
- 客観的視点の価値
「君が代」の意味
例えばあなたが、日本の国歌である「君が代」の尊さを伝える役割を担うとしたら、どのように伝えますか?
多くの人は「君が代」の意味を調べ、それを解説するのではないでしょうか。
ちなみに「君が代」は世界的に見てもとても珍しい国歌になります。
なぜ珍しいのか、分かりますか?
まずは、その短さです。
「君が代」は、世界でもっとも歌詞が短いとされる国歌で、ギネス世界記録にも認定されています。
もう1つは、戦争とか戦うという概念がないことです。
ちなみに、日本人でもほとんどの人がメロディーを知っているであろうアメリカの国歌では、次のような歌詞があります。
- 砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中、我等の旗は夜通し翻っていた
- 勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
フランスの国歌には、次のような歌詞があります。
- 武器をとれ、同志たちよ、隊伍を組め(隊伍を組もう)
- 進め、進め!(進もう、進もう!) 汚れた血が、我らの畑を濡らすまで!
- 我ら全員が おまえたちと戦う戦士だ
このことを踏まえて「君が代」の歌詞を調べてみると、次のような解釈が書かれていました。
君が代は(男性と女性が共に支えているこの世は)
千代に八千代に(千年も幾千年もの間)
さざれ石の(小さな砂がさざれ石のように)
巌となりて(やがて大きな盤石となって)
こけのむすまで(苔が生じるほど長い間栄えていきますように)
ここで、ある人の事例を紹介します。
それは、サッカーの三浦知良選手です。
今から30年以上前のJリーグができる前のサッカー日本代表は、まだワールドカップに出場していませんでした。
試合前に「君が代」を斉唱する時間はありましたが、聞くことに終始している選手がほとんどでした。
そんな中、三浦知良選手は大きな声で胸に手を当て「君が代」を歌っていました。
そしてとある日韓戦が終わった後に、とある記者が次のような質問をしました。
「君が代」を歌うと、軍国主義のように捉えられてしまう場合もあるかもしれませんが、その点はどうお考えですか?
すると、三浦知良選手は次のように答えました。
祖国に対して敬意を払えない人が、どうやって他国のことを思いやれるのでしょうか。
15歳からブラジルで生活をしていた三浦知良選手のような祖国を愛する気持ちが、果たして自分にはあるのかと考えさせられた瞬間でした。
「君が代」の意味すら分かっていない自分を恥ずかしく思うと共に、祖国に対する誇りを忘れてはいけないと強く感じました。
このように、ただ意味を伝えるだけではなく、他人の事例が加わると、伝わり方が全く変わってくるのです。
三浦知良選手については、こちら「三浦知良さんってこんな人」をご覧ください。
能登半島地震に学ぶ
例えばあなたが、能登半島地震から学ぶことを伝える役割を担うとしたら、どのように話しますか?
多くの人は、その事実を正しく理解しようと調べた上で、伝えるのではないでしょうか。
2024年の元旦に起きた、能登半島地震ですが、10か月以上経っても、復旧そして復興にまだまだ時間がかかっています。
ここにはたくさんの課題があるのですが、一方で、継続的にボランティアに参加している人には本当に頭が下がります。
私も仲間と共にボランティアや炊き出しをしましたが、現地の方のご苦労は、実際に行ってみないと分からないと実感しています。
それと共に、助け合い協力しあっていくことの大切さを痛感しました。
ここで、ある人の事例を思い出しました。
それは亡くなった、元東京都知事の石原慎太郎さんです。
以前東日本大震災の後に「福島の瓦礫を東京で受け入れることに対して、東京都民から批判があることについてどう思うか?」と記者から聞かれた石原慎太郎さんが答えていた内容を思い出しました。
・・・・・
誰のせいでどうすんの!?
力のあるところが手伝わなかったら、しょうがないじゃないですか。
みんなもう自分のことしか考えないから。
日本がダメになった証拠のひとつだよ、そういうの。
何も放射線がガンガン出るものを持ってくるわけじゃないし、測って何でもないから持ってくるんだからね。
東京だってバカじゃありませんよ。
そんな声には・・・「黙れ!」っていっときゃいいんだよ(笑)
・・・・・
このコメントを思い出して、日本人として助け合うことが当たり前だということを再認識しました。
このように、ただ事実を伝えるだけではなく、他人の事例が加わると、伝わり方が全く変わってくるのです。
客観的視点の価値
同じ情報なのに、誰から聞いたかによって伝わり方が変わるのはなぜでしょうか?
ほとんどの人は信頼できる人からの情報は受け入れやすく、快く思っていない人からの情報だと、疑いの気持ちを持ってしまうでしょう。
そこには人間の感性があり、その感性の根源には好き嫌いというものがあります。
自分が相手に好かれていると、その情報は届きやすいものになりますが、反対だと同じような反応は期待できないかもしれません。
しかし、何かを伝えたい時には、自分が好かれていなくても情報を伝えたいものです。
そんな時に、他人の事例と共に紹介すると、相手はより内容をキャッチしてくれるようになります。
なぜならば、誰から聞いたかという対象が変わり、その情報がより客観的な視点で伝わるようになるからです。
人間関係ができている時には、自分の考えを伝えることが有益かもしれませんが、そうでない時には、他人の事例と共に情報を伝えることで、より相手に届きやすくなることもあるのです。
「伝える力」については、ぜひこちらもご覧ください。
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