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三浦知良さんってこんな人 〜カズ選手の名言を交えてご紹介します〜

「三浦知良さん」って知ってますか??

知ってるに決まってるだろ~」「当たり前のことを聞くな~」なんてお叱りを受けてしまいそうですが・・・。

でもでも、最近の10代や20代の人の中には「え~分からないです〜」と答える人もいるのです。

そして写真を見せると「あ~知ってます知ってます」と。

大のKAZUファンの私としましては、ちょっと寂しいなと。

そんなこんなで、ぜひぜひカズ選手を知ってほしいという一途な思いをグッとコンパクトにまとめて、その魅力をお伝えしたいと思った次第でございます。

※このブログは2023年6月に更新


Dear KAZU 僕を育てた55通の手紙


カズ語録 不屈の魂が身につく218の言葉 (PHP文庫)


蹴音 三浦知良 伝説の言葉

目次         

  • コロナ対策を受けて
  • 簡単プロフィール
  • 1982年 ブラジルへ
  • 1990年 帰国
  • 1993年 ドーハの悲劇
  • 1997年 代表落選
  • 2005年 J2へ移籍
  • 2011年 震災復興試合
  • 2020年 53歳で現役
  • 2022年 55歳で初のJFLへ
  • 2023年 56歳でポルトガルへ

コロナ対策を受けて  

まずはこちらをご覧ください。

2020年4月9日の日経新聞のコラムです。

コロナ対策で色々な情報が飛び交っていますが、この記事ほど心に響いたものはありませんでした。

感動したことは、人に伝えたくなるものです。

そして感動を発信すると、次のような感想が返ってきました。

  • やっぱりキングカズはかっこいい。
  • その通りです。めっちゃ共感です。
  • カズ選手、素晴らしいですね。忘れていたことを思い出させてくれました。
  • 最近、どうした日本!?と思うようなニュースばっかりだったので元気が出ました!
  • やっぱり日本人はすごい!って!自分を信じようって思えました。
  • 国際人だな~って思いました。
  • 日本人として誇りを持とうと思いました。

カズ選手は、本当に素敵な人なのです。

簡単プロフィール   

いくら簡単とはいえ、プロフィールを紹介しようとすると、どうやっても長くなってしまいます。

しかし、頑張って短くご紹介します(笑)

  • 名前:三浦知良(みうら かずよし)
  • 通称:カズ キングカズ KAZU
  • 職業:プロサッカー選手
  • 年齢:54歳(2021年4月現在)今なお現役プレイヤー
  • 所属:横浜FC(過去に日本以外の4ヶ国のトップリーグでもプレー)
  • 日本代表歴:89試合に出場し55得点(歴代2位)
  • 主な個人受賞歴:下記参照
  • 1993年:Jリーグ初代MVP
  • 1993年:アジア年間最優秀選手賞
  • 1995年:Jリーグ得点王
  • 1996年:FIFA世界選抜に選出

カズ選手は、Jリーグの礎を築いたメンバーの1人であり、世界でも活躍し、今なお現役でプレーするプロサッカー選手なのです。

そして、個人的に印象に残っている出来事を時系列でご紹介します。

1982年 ブラジルへ 

若干15歳でブラジルに旅立ちます。

中学3年生の時に学校で進路志望を書く時があり、他の人が希望高校を書く中、カズ選手は第一志望の欄に「ブラジル」と書いたそうです。

中学生までに全国的な活躍をしているわけでもなく、サッカーで食っていくためには日本で今のままやるのではダメだ。

ブラジルで成功するんだと思ったそうです。

カズ選手のお母さんは、ブラジル行きのチケットを手配し渡す時に「どんなことがあっても帰りのチケットは自分で手配しなさい」と伝えたそうです。

そしてブラジルで生活をする中で「僕は一生日本人だと思った」そうです。

カズ選手は、母国を愛する気持ち、日本を想う心を持っている人なのです。

1990年 帰国    

ブラジルに渡って7年が経った時には、あのサッカーの神様といわれるペレ選手も在籍していた名門サントスFCでレギュラーを確保していました。

そんな中、日本の読売クラブへの移籍を決めたのです。

なぜ??

「日本をワールドカップに連れていきたい」

プレー以外にもどんどん改革をしていきます。

日本サッカー協会へもどんどん提案をしていき、時には声を荒げて上層部を批判するようなこともあったそうです。

カズ選手は、世界の視野で、日本のサッカーを考える人なのです。

その時のことを振り返った当時チェアマンを務めていた川淵三郎氏は、「本物のプロが日本にいるんだと実感しましたよ」と。

この川淵さんの器の大きさも、さすがですね!!

1993年 ドーハの悲劇

アメリカワールドカップの最終予選の最終戦。勝てば史上初の本大会出場決定。

カズ選手の先制点でスタートし2-1でリードしたまま、試合終了まで残りわずか・・・。

この試合をはじめ、いつも大事な試合で、ここで決めて欲しいという時にゴールを決めてくれる、抜群の決定力がカズ選手にはあるのです。

それが「KING KAZU」と言われる所以なのです。

しかしロスタイムに、ラスト数秒という場面でまさかの失点。

いわゆるドーハの悲劇です。

「日本をワールドカップに連れていきたい」

「ワールドカップの舞台で戦いたい」

その夢の実現が目の前で消滅してしまいました。

しかし、日本でJリーグがスタートして盛り上がっている中、ブームをブームで終わらせたくない、4年後のワールドカップには何としてでも本大会に進みたい。

そのためにはもっともっと強くならなければという想いから、1994年には当時世界最高峰と言われた、イタリアのプロサッカーリーグ「セリエA」に東洋人として初めて挑戦することになるのです。

カズ選手は、未来に挑戦することで、どんな過去も経験という大きな財産に変えていく人なのです。

1998年 代表落選  

4年前の雪辱を期す日本代表は、遂に悲願達成。

初のワールドカップ本大会出場を決めたのです。

1次予選・最終予選共にエースとして活躍していたカズ選手でしたが、終盤は怪我の影響もあり、本調子とはいえない出来でした。

そんな中、スイスでの代表合宿中の本大会直前に発表された代表メンバーから、カズ選手が落選してしまったのです。

これは、メディアも大々的に取り上げた出来事でした。

本大会前に帰国して、成田空港で行われた記者会見でカズ選手は、「日本代表の誇り、魂みたいなものを向こうに置いてきたと思ってるんで、絶対に頑張ってもらいたいです」と発言し、一切の不満を口にしませんでした。

そして翌1999年には「自分の中にあるチャンピオンベルトを取り戻したい」という想いで、クロアチアの名門クロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)に移籍するのです。

カズ選手は、どんな壁が目の前に訪れても、常に前を見据え向上心をさらに高めていく人なのです。

2005年 J2へ移籍 

クロアチアから帰国後に、京都パープルサンガ(現京都サンガ)を経て、ヴィッセル神戸でプレーしていたカズ選手ですが、2005年にはなかなか試合に出られない日々が続いていました。

当時は30歳を過ぎたら引退という風潮の中で、カズ選手はこの時すでに38歳でした。そんなカズ選手が下した決断は・・・。

J2の横浜FCへの移籍!!

これはもうもうビックリでした。

日本代表経験のある選手が、カテゴリーをJ2に下げてまで現役を続けていくことはカッコ悪いという暗黙の風潮がありました。

しかし、カズ選手は「自分をプロサッカー選手として必要としてくれて、チームに明確なビジョンがあれば、カテゴリーは関係ない」と話しています。

ちなみに当時の横浜FCの練習は、専用の練習場を持ち合わせていなかったため、横浜市内の施設を転々としていました。

すると記者がカズ選手に、次のような質問をしました。

「練習が終わってから、コインシャワーを使っていると思うのですが・・・」

以前から、プロサッカーチームの施設や設備の重要性を訴え、プロサッカーの環境を変えてきたカズ選手は、次のように答えました。

「みんなは100円だけど、俺は200円使っているよ(笑)」

カズ選手は、「ない」ことを嘆き悲しむのではなく、「ある」ことに目を向け、どうやったら改善できるかを常に考える人なのです。

すると、その後どうなったかというと。

  • 横浜FCの関わった試合の平均観客動員が1.7倍に(6,079人⇒10,293人)
  • 横浜FCが翌年J2で初優勝してJ1に昇格。
  • 横浜FCのスポンサーが増え、設備が改善。

今でこそJ1だけでなくJ2やJ3まで元日本代表の選手が在籍していますが、当時のこの移籍はそれまでの常識を変えた行動だったのです。

カズ選手は、Jリーグそして日本のサッカー文化の裾野を広げた功労者の1人なのです。

2011年 復興支援試合

2011年3月11日 日本人なら誰も忘れることのない未曽有の大震災

サッカーをはじめ3月に開幕する予定のスポーツは全て延期。

スポーツどころではない状況でした。

そんな時にサッカーの東日本太平洋沖地震復興支援チャリティマッチが、3/29に開催されることになりました。

日本代表 vs Jリーグ選抜

そして、カズ選手はJ2から唯一選出されたのです。

震災直後の開催に戸惑う選手もいて「こんな時にサッカーなどしていていいのか?」と疑問を持った人もいるそうです。

その時にカズ選手は次のように話していました。

「全力で自分に今できること、プレーをして、何か届けられたらいいなと思っています」

そして、試合は0-2で日本代表がリードしている中、後半17分にいよいよカズ選手が途中出場を果たしました。

スタジアムにいるすべての人(約4万人)が迎え入れる雰囲気の中、後半37分になんと・・・、スタジアムが1つになるゴールを日本代表を相手にカズ選手が決めたのです。

日本全国はもちろん、世界150ヶ国以上で生中継された試合でやっぱり決めてしまうのです。

カズ選手は、決めてほしいところで決めてくれるから、記録以上に記憶に残る選手なのです。

試合後に、日本代表選手が次のように話しています。

  • 長谷部キャプテン:「カズさんのゴール以外ないです。カズさんは、何かを起こせる人だと思います」
  • 岡崎選手:「目指すべきところはあそこ(カズさん)だと思うし、日本のみんなが子供たちがそう思ったんじゃないですか」
  • 長友選手:「日本サッカー界を引っ張ってきてくれて今のサッカー界があるんで、こいつらに任せられるなっていうようなプレーを僕らはしたいです」
  • ザッケローニ日本代表監督:「私はゴールを決められることは嫌いだが、人生で初めてゴールを決められて嬉しかった」

そしてカズ選手は次のように語っていました。

「ここに来たサポーター含めて、この想いが東北の皆さんに届くことを祈っています。きっと届いたと思います」

2021年 54歳で現役

冒頭に紹介した、2020年4月9日の日経新聞のコラムです。

再度、ご覧ください。

大のKAZUファンの私としましては、カズ選手のプロサッカー選手という枠を超えた、人間としての魅力が少しでも伝われば幸いです。

2022年 55歳で初のJFLへ

試合に出られる環境を求め、鈴鹿ポイントゲッターズ(JFL)へ移籍します。

10月9日の国立競技場でのクリアソン新宿戦では、後半31分から途中出場すると、JFL歴代最多となる16,218人の観衆が集まりました。

また10月23日の奈良クラブ戦もロートフィールド奈良にJFL歴代2位の14,202人が集まり、同チームのJ3昇格の集客案件クリアをアシストしました。

衰えない人気が凄いの一言です。

カズ選手本人も、最終的にJFLで18試合出場し、2ゴールを決めるシーズンとなりました。

2023年 56歳でポルトガルへ

56歳で更なる成長を求め、ポルトガル2部のチームへ期限付き移籍をします。

このようなニュースの度に、ネットには色々な意見で書き込みがいっぱいです。

その数の多さに改めて注目度の高さを感じます。