気遣いができる人とは、どんな人でしょうか?
- 気が利く人。
- 気がつく人。
- 周りが見える人、などなど。
周囲に対する「気づき」があって、相手のために先回りして実際に行動を起こせる人というのが、1つの定義でしょうか・・・。
気遣いという言葉を、辞書で調べてみると・・・。
①あれこれと気を遣うこと。心遣い。
②よくないことが起こる恐れ。
今回は①に関する「気遣い」の事例です。
目次
- はじめに
- 困った気遣い
- 正しい気遣い
- おさらい
はじめに
メールのやり取りでも「気遣い」はとても大切です。
しかし同じ「気遣い」でも「してあげている」という感覚で行っていると、大きな落とし穴が待っています。
「気遣い」は、「気を遣う」という精神的な意識の部分だけでは足りません。
それだけの意識では、場合によってはクレームになってしまうこともあります。
つまり「気遣い」には精神的な部分と共に、スキル(技術)が必要ということです。
困った気遣い
ある人(Bさん)が、お客様(Aさん)とスケジュール調整をしている時に、こんなやりとりがありました。
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Bさん:それでは、今度一度ご訪問させていただけますか?
Aさん:はい、いいですよ。だいたい会社におりますのでいつでも大丈夫です。
Bさん:ありがとうございます。ちなみにご都合の悪い曜日はありますか?
Aさん:平日であれば大丈夫です。
Bさん:ご都合の悪い時間帯はありますか?
Aさん:午後のほうが嬉しいですが、午前中でも大丈夫です。
Bさん:今は新しい年度のスタートなので、来月のほうがよろしいでしょうか?
Aさん:お気遣いありがとうございます。でも特に問題ありません。
Bさん:では上司に相談して、またご連絡を差し上げます。
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このようなやりとりがあったとしたら、どのように感じますか?
Bさんは、常に下手に出ていて、偉そうにもしていません。そして相手の意見を尊重しようという意識が伺えます。
しかし、やりとりがとっても長いのです(笑)
もっと短いやりとりで終われるはずですが、やりとりが無駄に長いです。
ましてやこのお客様は最初に、「だいたい会社におりますのでいつでも大丈夫です」と言ってくれています。
果たしてこのようなやりとりでお客様は、気遣いをしてくれて「ありがたいな〜」とか「嬉しいな〜」と感じているでしょうか?
ちなみに、このお客様からはクレームまではいかなくても、担当を変えて欲しいというコメントが後日ありました。
正しい気遣い
では、どうすれば良かったのでしょうか?
例えば、こういう感じです。
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Bさん:それでは、今度一度ご訪問させていただけますか?
Aさん:はい、いいですよ。だいたい会社におりますのでいつでも大丈夫です。
Bさん:例えば4月7日、9日、11日のいずれかで、ご都合はいかがでしょうか?
Aさん:お気遣いありがとうございます。それでは9日の午後でいかがでしょうか?
Bさん:ありがとうございます。それでは9日の午後2時にお伺いさせていただけますか?
Aさん:はい、それではお待ちしております。
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このようなやりとりがあったとしたら、どのように感じますか?
仮にその3日のいずれも都合が悪かったとしても、「だいたい会社におりますのでいつでも大丈夫です」と最初に言っているわけですから・・・、
「すみませんがどの日も予定が入っています。逆に10日はご都合いかがでしょうか?」と、逆提案がくるものです。
決して自分の都合を優先させて、「気遣いがない」などと思われることはないでしょう。
おさらい
今回のような困った「気遣い」に対して、特に忙しい人は嫌がります。
そして多くの場合、忙しい人は重要人物です。
重要人物とは、例えば決定権を持っている人とか、会社のトップの人などです。
人は自分の意見を尊重されると嬉しいものですし、嫌な気分になる人は少ないでしょう。
しかし「無駄だ〜」とか「面倒だ〜」と感じることがあると、嬉しくは感じません。
そのようなやりとりや感情は、ビジネスや商談や人間関係構築にも影響してきます。
「してあげている」という「気遣い」は、間違った気遣いです。
そして、このような「してあげている」という「気遣い」をしてしまっている人は、「なぜ自分がいけないのか?」という客観的な視点を持てていない人が多いのです。
そんな時は・・・、
気づいた人が、間違った「気遣い」を指摘し、正しい「気遣い」を教えてあげなければいけません。
こうやって文章にすると「当たり前」と捉えることができても、意外にできていない人が多いものです。
それが、相手の立場に立つという言動です。
続きは、こちら「相手の立場に立って考える人と考えられない人」をご覧ください。
常に相手が「どのように感じているか?」という視点を持った上で、「気遣い」を考えることが、本当の「気遣い」です。
「してあげている」という自分から見た感情は、必ずしも「気遣い」ではないのです。
「気遣い」かどうかという判断は、常に相手が決めるものなのです。