安心安全な場づくりなんていうことは、20年前はほとんど考えていませんでした(笑)
これは立場や役割によっても違いがあるかもしれませんが、時代の流れでもあるのではないでしょうか?
私は20代の頃に、社会で生きていくために、必死になって目の前のことに向き合っていましたが、安心安全な場づくりなんていうことは、全く考えていませんでした。
しかし、当然私自身の立場や役割の変化もあるでしょうが、今はよく考えることです。
目次
- 物の豊かさ
- 満たされた豊かさ
- ストレスフリー!?
物の豊かさ
安心安全なんていうキーワードが出てきた時に、ロシアとウクライナの状況をニュースで見た日本人のほとんどは「日本は安全で良かった」と実感するのではないでしょうか。
しかしそんな日本においても、時代の変化と共に、安心安全な価値観が変わってきたのではないでしょうか。
私は1970年代生まれですが、それよりも30年前に生まれた方と比べると、安心安全という言葉の意味合いは全く変わってくるのだと思います。
例えば戦争を経験している方にしてみれば、身の安全や家族の安全が真っ先に浮かぶのかもしれません。
そして日本の復興を支え高度成長期を生き抜いた方にしてみれば、生きていくために経済の安心を得るために、職業を手に入れるということが安全に繋がると感じていたのかもしれません。
そしてより豊かに暮らしていくために、生活に必要なものを求めて頑張るという構図があったのだと思います。
私はその頃を生き抜いた人間ではありませんが、年を重ねる度に先祖や先人の方に対する感謝が芽生えたりもします。
まだまだ足りませんが(笑)
そして映画「Always 三丁目の夕日」を見て、昭和にリスペクトし、昭和生まれであることに誇りをもったり、小雪さんは本当に綺麗な方だと見惚れちゃったりします(笑)
先日我が家ではテレビを買い換えたのですが、やはり新しいテレビは画質も機能も凄いです。
でも初めてテレビを買った人や、初めてカラーテレビが家に届いたという経験のある人の感動に比べたら、今の時代にテレビを買い換える感動なんてちっぽけなものだということも考えたりもします。
満たされた豊かさ
先ほど書いたように、物を買うことで得られる感動は時代と共に減っているかもしれませんが、考えてみればそれは当たり前のことなのです。
簡単に説明すると、次のようになります。
マズローの5段階欲求というものがあります。
簡単にいうと、欲求には段階があり、それは次の5つのステップがあるというものです。
第1段階:生理的欲求
第2段階:安全欲求
第3段階:社会的欲求
第4段階:承認欲求(尊重欲求)
第5段階:自己実現欲求
詳しくは、こちら「マズローの5段階欲求を踏まえた伝える力」をご覧ください。
それを絵にすると、次のようになります。
生活を維持するための「物」なのか、より良い暮らしをするための「物」なのか、必要性に応じて感動が変わるのであれば、同じ「物」を手に入れても、時代によってその感動が変わるのは当然のことなのです。
では「物」の欲求が満たされた現代は、本当に豊かなのでしょうか?
例えば日本国内の自殺者の数を見ると、決して少なくありません。
GLOBAL NOTEさんの指標で発表されている2020年の国別の自殺率をみると、日本はなんと世界で8位なのです。
この事実を知ったら、決して豊かとは言えないのではないでしょうか。
ストレスフリー!?
食べ物の不足している時代には、明日を生きていくために食べ物が必要なので、好き嫌いという選択肢はなく、ありがたくいただくことが当たり前だったのかもしれません。
お金の不足している時代には、明日を生きていくためにお金が必要なので、好き嫌いという選択肢はなく、目の前の仕事を一生懸命やるのが当たり前だったのかもしれません。
しかし食べ物が満たされ、仕事が選択できるようになると、もしかしたら感謝の気持ちは薄れて、不満が生まれてしまうのかもしれません。
では「心」はどうでしょうか?
「生きる」という一択であれば「どうやって生きるか」を考えるかもしれませんが「生きる」か「死ぬ」かという二択があると捉えると、考え方が変わるのかもしれません。
そんな中で「死ぬ」よりも「生きる」を選択するためには、何が必要なのでしょうか?
これは人によって色々でしょうが、共通することとして、心の安定があるのではないでしょうか?
その安定のためには「Help me」と言える場が大切だと私は思っています。
ストレスフリーが大切だと言う人もいますが、ストレスがなくなったら人の成長も止まってしまうのではないかと私は思います。
しかし許容範囲を超えるストレスは、人生を狂わせてしまうかもしれません。