「自分が可愛い」とは、誰もが思っていることだと思いますが、なぜでしょうか?
説明の必要はいらないですよね。
敢えて言うならば、人間はそういう生き物なのです(笑)
だから人間は、自分にとって損か得かで判断するのです。
その上で、その損得勘定にどのような経験を積み重ねていくかで、人生の価値観が変わっていくのだと思います。
その価値観が表に出る行為の1つに、人との接し方があるのではないでしょうか?
その一例が「人によって態度が変わる人」ですね。
目次
- あるプロ選手の話
- 人によって態度が変わる人
- 自分軸を持つ
あるプロ選手の話
色々な監督のもとでプレイされてきたと思いますが、どんな監督が心に残っていますか?
親交のある元Jリーグの選手が、このような質問を受けて、次のようなことを話していました。
まず思い出すのは、現日本代表監督の森保さんです。
森保さんはスタメンの11人だけでなく、それ以外の選手にも常に気を配り、チーム全体としての視野でいつも考えている監督だという印象があります。
そして普段はおとなしい人ですが、試合前には選手を鼓舞するような熱い一面も持っている方です。
さすが、国の代表チームをまとめるポジションを任される方ですね!!
そして、次の質問がこちらでした。
嫌いだなと思うような監督はいましたか?
この質問を受けて、彼は次のように話していました。
やはり、人によって態度が変わる人は、あまり好きにはなれませんでした。
これは、プロスポーツの世界に限らないことではないでしょうか?
身近なところにも、人によって態度が変わる人っていませんか?
そして、そんな人をどのように思いますか?
きっと、好意的に思う人はいないでしょう。
人によって態度が変わる人
では人によって態度が変わる人とは、どのような特徴があるのでしょうか?
①自分の損得で考えている
しかしこれは、一概に悪いとは言えませんね。
冒頭でもご紹介したように、ほとんどの人が自分の損得で考えるからです。
②自分がどう見られているかを気にする
結局「自分が可愛い」のです(笑)
しかしこれも、ほとんどの人が同じでしょう。
でも、見方を変えれば良い面もあります。
芸能界で活躍する俳優さんや女優さんは、常に人から見られているという緊張感を持っていることで、かっこよく素敵で美しいのかもしれません。
もちろんご本人が努力されているということが、一番の要因ではありますが・・・。
③物事を上下で考える
上下という定義も色々ですが、上の人を敬い尊ぶことはとても大切なことです。
問題は、下の人に対してぞんざいな扱いをしていいかということです。
あるべき論として「ぞんざいに扱ってはいけない」ということを頭では誰もが分かっているでしょうが、それを実践しているかどうかで分かれ道があるのです。
④人と比較をする
例えばテストの結果が70点だった時に、その点数は高いでしょうか?
それとも低いでしょうか?
それは比較する対象によって変わってきます。
例えば・・・
- 自分で立てた目標と比較する
- 過去の自分と比較する
- 友だちの点数と比較する
この時に誰かと比較すると、キリがないのです。
なぜならば、誰かという対象となる人は、世界で77億人いるからです(笑)
つまり、自分よりも上だと思う人と比較すると、自分の点数は低いものになり、その逆もあるからです。
だから人と比較するのではなく、自分の目標などと比較できるようにしたいものです。
しかしライバルという存在が、自分の成長を後押しするという考え方もあるので、人と比較することが必ずしも悪いとは言えませんね。
自分軸を持つ
⑤人の役に立つという考えが乏しい
人は1人では生きていけませんので、支え合って生きていくものですが、それを実践するかどうかは人によって変わってきます。
その時に、自分はどう生きたいか、どんな人でありたいかという考え方で行動が変わってきます。
ある人に対して何かをしてあげても自分に見返りがないと思った時に、自分のことだけを考えている人であれば、その人に対しては何もしないかもしれません。
しかし自分への見返りを考えず、自分がその人の役に立てるかもしれないから〇〇をしてみようという人もいるでしょう。
この違いは、本人の考え方であり、その根底にある自分軸が影響するでしょう。
自分軸などを特に意識しない人であっても、人によって行動が変わる時には、その人が育ってきた環境や親の躾などが影響する時もあるでしょう。
やはり育ってきた環境というのは大切ですね。
また育ってきた環境以外にも、人生でどんな人と出会うかということでも、自分軸に影響はあるでしょう。
だから人生でどんな人と出会うかも大切ですね。
私の現段階での結論としては、人によって態度が変わる人は、人の役に立ちたいという自分軸を持っていない人なのです。
だから自分軸である、自分はどう生きたいかという考え方を常に見直すことが大切なのです。